O.D. 日本の神道と仏教
資料確定:2025-11-11 01:06
この回は、オンデマンド授業です。
授業内容
近代以前を対象として、焦点をしぼって説明する。
時代のかたまりごとにざっくり説明することで、概略をおさえやすくしている。
なかでも、神祇・神道に関する事項は極力簡素になっている。詳細やふれていない点については『日本神道史』(できれば、増補新版のほう)を参照のこと。
神社の淵源
石上神宮の禁足地:かつて本殿がなく、禁足地(立入禁止区域)が御本地と呼ばれ、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていた。 沖ノ島:祭祀遺跡の変遷から神社祭祀への連続性が検討されている。 仏教伝来(6世紀半ば)
律令国家の成立:7世紀後半~8世紀中葉
近江令(668年完成とされる):律は編纂されなかった。
飛鳥浄御原令(689年頒布):
大宝律令(702年施行):現存しない。編目には「神祇令」があった。
養老令(757年施行):神祇令が含まれ、内容を伴う。
【仏教】鎮護国家的仏教
僧尼令(701年):国家による統制体制
南都六宗(三論、法相、華厳、律、成実、俱舎の各宗)の成立
国分寺建立の詔(741年):塔には『金光明最勝王経』を安置することも定められた。
大仏建立の詔(743年)→孝謙天皇による大仏(盧舎那仏)の開眼供養(752年) 宇佐八幡の託宣と上京(749年):大仏建立を助ける内容 【神祇】律令祭祀制(7〜8世紀)
律令国家祭祀
神宮の式年遷宮(7世紀末に制度化)
朝廷における仏教政治(道鏡など)
光仁・桓武朝:反動としての仏教統制
平安時代
桓武天皇による平安遷都(794年):平城京の仏教勢力から距離を取る。 【神祇】平安祭祀制(8〜9世紀)(『日本神道史』p.150-)
官幣社/国幣社の別:中央と地域の分権がはじまる。
名神奉幣制(桓武朝から盛んに):官社のうち霊験の高い神社に奉幣する。
公祭
特定の神祇に天皇近臣および内廷機関が恒例的に関与する。
天皇の意志を反映した祭祀である(加瀬直弥「神道(1)」櫻井・平藤編『よくわかる宗教学』p.115)。
【仏教】平安仏教―新たな仏教
国家体制としては、南都六宗が基本。
新しい仏教(密教)をもたらした最澄・空海。
入唐して、中国の天台宗を学んだ。
東大寺戒壇における受戒制度を離れて、独自の大乗戒壇の設立を目指すなど、南都諸宗と対立した。
(天台宗が本格的に密教を取り入れるのは、最澄の弟子の円仁・円珍が入唐して学んでから)。
入唐して密教を2年間学んで帰国した。
空海は南都の具足戒を認めたうえで、真言行者は密教特有の戒を持つべきとするなど、南都諸宗と協調しつつ、護国法会の密教化を推進した(近藤俊太郎、p.121)。
国家的法会(佐々木恵介『天皇の歴史3 天皇と摂政・関白』講談社学術文庫、2018年)
御斎会:正月8日~14日まで「金光明最勝王経」を講説し、国家安穏・五穀豊穣を祈願する法会。
並行して、平安宮内の真言院では、真言宗の僧侶により後七日の御修会が行われ、密教による鎮護国家・玉体安穏が祈願された。
仁王会:代表的な護国経典である「仁王般若経」を講説する法会。
宮中の年中行事として春秋二季に行われた。
他に、天皇即位時に一代一度仁王会が、また除災のために臨時仁王会が、それぞれ行われた。
「仁王般若経」は特に災害を除くのに効果がある経典とされた。
季御読経(きのみどきょう)
春秋二季に「大般若経」を転読する法会。
御霊会:疫神・怨霊慰撫のための法会・祭礼
現世的・個人的側面の展開
【仏教】
天台・真言とも国家安泰を祈願するとともに、現世利益の性質が強い加持祈禱によって皇族・貴族の支持を集めた。
もっぱら天皇個人の安穏のため祈禱に当たる護持僧は平安朝に始まり、延暦寺、園城寺、東寺[教王護国寺]の高僧から選ばれ、恒例・臨時に作法を修した(村山修一「加持祈禱」『世界大百科事典』)。 「特定の天皇が自らのために祈禱を行ったり、その父母などの菩提を弔うために建立した御願寺(ごがんじ)と呼ばれる寺が、仏教界で重要な位置を占めるようになる。」:嘉祥寺、仁和寺、醍醐寺、四円寺(円融寺、円教寺、円乗寺、円宗寺。10世紀末~11世紀後半にかけて成立)…(佐々木恵介『天皇の歴史3』) 【神祇】
平安中期以降、もとは基本的に集団的・共同体的だった祓[大祓]について、陰陽師が個人祈願の呪法としてさかんに行うようになった。
【神祇】祈年穀奉幣
9世紀~10世紀にかけて祈年祭における神祇官(中央)での班幣は停滞、やがて形骸化。
名神奉幣がさかんになり、摂関政治の時代には天皇の諸社への「御拝」(ごはい)をともなう祈年穀奉幣が国家の予祝祭祀の中心的な位置を占めるようになった。
名神奉幣:「名神」(諸国で特に霊験あらたかとされる神社)に奉幣して年穀を祈願すること。
天神祭祀(天満天神)
【神祇】天神(菅原道真)の託宣が下る(942年)。ほかに何回か。 【神祇】皇城鎮護の神として、北野に社殿を建立(947年)。
【神祇】北野社ではじめての勅祭(987年)
【仏教】浄土教の展開
貴族社会の周辺:源信による念仏結社。『往生要集』(985年成立) 【神・仏】本地垂迹説の成立(10世紀頃)
【仏教】末法思想(平安中期)
「末法の世」(1052年に始まるという説が同時代的に受容された)。
院政期(1086~1192)
寄進地系荘園の成立(11世紀後半~)
「とくに鳥羽上皇の時代になると、院の周辺に荘園の寄進が集中したばかりでなく、有力貴族や大寺院への荘園の寄進も増加した。」(『詳説日本史』、p.89)
「大寺院も多くの荘園を所有し、下級僧侶を僧兵として組織し、国司と争い、神木や神輿を先頭に立てて朝廷に強訴して要求を通そうとした。」(『詳説日本史』、p.89)
【仏教】貴族の子弟が大寺院の要職を独占するようになっていった(近藤俊太郎「日本の仏教(1)」櫻井・平藤編『よくわかる宗教学』p.121)。
【神宮】12世紀初頭に政府が神宮の荘園について書き上げさせたことによって、新立御厨(御厨=神宮の荘園)をめぐる神宮と受領の争いが収まった(下向井龍彦『日本の歴史07 武士の成長と院政』pp.238-240)。
【神祇】神宮と八幡が「二所宗廟」と呼ばれ、皇位守護の神とされた(『日本神道史』増補改訂版、p.26)
【神祇】やがて、摂関体制擁護のため、神宮・八幡に春日を加えた三社の編成が、九条兼実と慈円の周辺で作られた(『日本神道史』増補改訂版、p.26)。
【神・仏】後白河院の熱心な熊野参詣(12世紀後半)
【仏教】寺院に所属しない聖や上人などと呼ばれた民間の布教者が貴族と武士・庶民を結び、その浄土教の思想は全国に広まった(『詳説日本史』p.93)。
顕密仏教(八宗体制)
八宗:南都六宗(顕教)と天台宗・真言宗(密教)
八宗は、平安時代に国家の公認を受けた。
この顕教と密教からなる八宗が国家と密接に関わる体制を黒田俊雄は顕密体制と呼んだ。 王法仏法相依論
仏教と国家は別個の次元において存在し、しかも相依不離の関係にあるという考え方。
院政期には、この考えにもとづいて、国家的法会の体系が整えられ、経典研究が進展した(近藤俊太郎前掲、p.122)
鎌倉時代
【神・仏】両部神道最初期の著作『三角柏伝記』『中臣祓訓解』が成立した(12世紀末)。
【神祇】伊勢神道書が成立した(鎌倉前期から文永・弘安[13世紀末]にかけて)。
【神・仏】即位灌頂:即位式の密教化。
【仏教】鎌倉仏教と新仏教
【仏教】鎌倉時代の仏教の主流派は、顕密仏教(特に政治的・社会的な側面で。)
table:関係人物の先後関係
浄土教 禅宗 法華 旧仏教
重源(1121-1206)
法然(1133-1212)
栄西(1141-1215)
貞慶(1155-1213):法相宗
親鸞(1173-1262) 明恵(1173-1232):華厳宗
道元(1200-53)
叡尊(1201-90):律宗
忍性(1217-1303):律宗
日蓮(1222-82)
一遍(1239-89)
浄土教の流れから
禅宗
13世紀後半には、禅宗は律宗とともに鎌倉幕府に支持された(近藤前掲論文、p.122)。 旧仏教側の新しい動き
南北朝期・室町時代(1333-1493)
【仏教】室町時代になっても国家や王権との関係では顕密寺院[顕密仏教]が依然として強い影響力を持っていたが、足利尊氏から義満までがいずれも顕密仏教と禅宗の融和を進めたため、室町幕府と禅宗は密接な関係を築くこととなった(近藤前掲、p.122) 【神祇】吉田兼倶が活躍した(15世紀後半)。『唯一神道名法要集』(1484年)。 【仏教】本願寺の蓮如が活躍、真宗教団を確立した(15世紀後半):以後の浄土真宗の興隆の直接の起源。 【仏教】一向一揆(15世紀):一向宗(浄土真宗)の門徒を主体とした一揆(目的・方法などを同一にする人々の結合とその行動)。(『角川日本史辞典』) 江戸時代
【仏教】寺社奉行設置(1635年)に対応して、触頭寺院を設置した。
教団の管理、宗教者の身分的掌握
【神社・神職】神社条目(諸社禰宜神主(等)法度)(1665年) 吉田家などによる執奏
【仏教・寺院】諸宗寺院法度(1665年)
本山制度:寺院・僧侶を本山―末寺の関係に組織化する。
寺檀制度・寺請制度…一般人のどのイエもどこかの寺の檀家にならなければならない:寺院を「活用」した個人や家の管理。宗門人別改帳の編成。 近現代の禅宗の展開の例